1月の神戸は花がよく売れる
動かないJR、瓦礫の街を行く代替バス。受験生であることを知った神戸の人たちは「大切な時期に身体を壊したらあかんやんか」と、バスを待つ列の先頭に僕を並ばせてくれた。「受験、頑張ってくるんやで」。
そのあと僕は、神戸よりも少し早く春を迎えて今日までを生きてきた。誰にどれだけの「貢献」や「恩返し」ができているかはわからないけれど、復興の歴史が教えてくれたことは忘れないでいようと思う。
とてもとても寒い冬の朝のことだった。だからこそ知った、そのあとの色々な温度だった。
ふあうすと2010年8月号「明鏡府」掲載